小中華思想の中には、中華思想と同じく、包容の論理が含まれていた。つまり独自の冊封体制、朝貢体制を整え夷狄との交流を図り、朝鮮通信使のように能動的に使節を派遣して文化的交流をもって教化し、あるいは帰化人を受け入れて同化させるといった面も見られた。中華思想において、この他者化と包容、相反する二つの側面は、国力が充実しているときは異民族に開放的になり包容の論理が表れ、政治的に異民族から強い圧迫を受けているときは差別化が強調される傾向を持っていた。小中華思想においても同様の現象が現れ、政治的逆境に置かれた時期こそ文化的優越主義の側面が強く表れることになった。
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朝鮮のこうした積極的な中華文明受容の姿勢は、中華に同化することを目指したものであることから、同時に朝鮮独自の文化の発展を阻害することになる。一例を挙げると、李朝前期の世宗が朝鮮独自の文字、ハングルを制定しようとしたとき、官僚を含む知識人階級から「捨中国自同扵夷狄」(中国を捨て夷狄に同化する)行為だと反発を受け、ハングルは李朝末期に至るまで諺文と呼ばれて蔑まれ正規の文字になることはなかった。こうした中華文明を尊び独自性を排除しようとする考えは儒者共通のものだが、小中華思想を掲げ中国に倣って科挙体制を取り入れ、儒教を支配理念としていた朝鮮において特に顕著に表れることになる。
朝鮮半島の北西部で中国と直接国境を接しているため、高句麗、百済、新羅などは中国王朝の皇帝から冊封を受けて臣下の礼をとることにより独立の保障を得たり、また、朝鮮半島内の敵対国との抗争に有利な立場を得るため、積極的に中国王朝に事大してきた。